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タカシの外資系物語

降格人事ヲ命ズ ( その 3 )2005.05.31

パートナー H 氏からの苦言


前回の続き )退職の決意を固めて社長と面談したものの、「転職先と同じ給料を出そう ! 」の一声で残留することに決めた私。と同時に、一夜にしてマネージャーからシニアマネージャーに「スピード出世」し、戸惑っているところに、新しい上司である H 氏から、急に電話で呼び出されました。


私 「ど、どーも、はじめまして ・・・ タカシですが ・・・ 」


H 氏 「おぅっ、急に呼び出して悪いな ! ちょっと、そこにかけて待っててくれよ」


H 氏は、年の頃は 30 代後半から 40 ぐらいといったところでしょうか。この会社には大卒後プロパーで入社し、ほぼ最短で最高位である「パートナー」( 一般企業の役員にあたる ) まで上りつめた「エース」です。パートナーになって、かれこれ 7 年ぐらい経っているそうですから、私と同い年のときには、すでにパートナーに昇格していたという「ツワモノ」です。


H 氏 「社長に聞いたよ。なんか、やっかいなこと言ってくれたらしいじゃん ・・・ 」


私 「え、ええ ・・・ ヘッドハンティングされたんで辞めたいって言ったら、そこと同じだけ出すって言われまして ・・・ あと、上司を H さんに変えてくれとも言いました、ハイ ・・・ 」


H 氏 「だからさ ! 仮にオレをそこまで信頼してくれてたんだったら、社長に言う前にオレに言えよ ! 確かに社長が OK って言やぁ、 OK なんだけどさ。現場には現場のやり方ってのもあるんだし、お前がやりにくくなっても困るだろ。お前、自分で自分のクビ締めてんだぞ」


私 「は、はぁ ・・・ ( 確かに一理あるにゃ ・・・ )」

H 氏 「給料上がったのはいいけど、この先苦労するぜ、お前 ・・・ 知ってると思うけど、シニアマネジャーってさ、年間 X 億の上がり ( 売り上げ ) ないとなれないんだからさ、ホントは ・・・ 」


( 注: 確かに、当時シニアマネージャーに昇格するためには、かなり厳しい基準があったように思います。私はその前年、 X 億にかなり近い金額を売り上げていたのですが、それでも足りないのは事実でした )

H 氏・大物の風格


私 「・・・ ( トホホ ・・・ 一体どないせぇ、ちゅうねん ・・・ (T-T) ・・・ )」


H 氏 「ま、いいじゃねぇか。済んだことはしょうがない。この一年で、去年の倍稼ぎゃ、だれも文句いわねぇよ ! オレも引き受けた以上はビシビシ行くから、よろしく頼むぜ ! じゃ、帰ってよし ! 」


私 「へ ? それだけっすか ? 」


H 氏 「そーだよ。あ、それとコーポレートカードの件だけど ・・・ 」


私は社長面談のときに、調子に乗って、パートナーしか持てないコーポレートカード ( パートナー権限で経費が落とせるクレジットカード ) を持たせて欲しいとも言っていたのです。


私 「い、いや、めっそうもない。ものの試しちゅうか、勢いで言ってみただけで ・・・ 」


H 氏 「お前、出張先でいるんだろ ? じゃ、これ使えよ」


私 「は ? これって H さんのカードじゃ ・・・ 」


H 氏 「そうだよ。オレ使わねぇから、お前に預けとくよ。お前だって海外でしか使わないんだから、漢字でサインすりゃ、見分けなんかつかないって ・・・ 持ち主のオレがいいって言ってんだから、いいんだよ ! 」


まったく、豪快なのか、単なるアホなのか ・・・ 私は H 氏に押し切られる形で、生まれて初めて、コーポレートカードを手にしたわけです ( 確か、ダイナースのゴールドだったと思います )。


それから 2 、 3 日後のこと、私は H 氏と一緒にクライアント ( 某大手銀行のシステム部です ) 先に出向きました。プロジェクト責任者のH氏をクライアントに紹介するためにです。


H 氏 「はじめまして。 H と申します」


クライアントの部長 「こちらこそ。今後とも、よろしくお願いいたします。 H さんは、銀行を担当されて、もう長いんですか ? 」


一般的に、銀行員というのは、初対面の人が銀行業務のことをどの程度知っているかということを、非常に気にします。その理由は、「銀行に出入りしている業者なんだから、銀行業務のことを知っていて当たり前。業務を知らないような人は、銀行の敷居をまたがないでいただきたい ! ( 業務を覚えてから来いや ! 10 年早いわ ! )」という意識の表れなのです。


・・・ や、やべっ ! H さん、銀行のプロジェクト初めてだよ。何とかうまくごまかしてくれよ ・・・


H 氏 「もう 20 年近くやってますけど、銀行さんは初めてですね」


い、いかーーーーーーーーーーーーん ! 何言うとんねーーーん、おっさーーーん !


H 氏 「銀行は初めてですが、大規模プロジェクトの経験は豊富にあるつもりです。私がまずやらなければならないことは、弊社の奈良 ( タカシ ) が気持ちよく仕事ができる環境を作ることだと思っています。ですから、人が足りないとか、スタッフの品質が悪いだとか、そういう苦情はどうか直接私に言ってください。実際の現場は、奈良 ( タカシ ) に任せておいて問題ありませんから ・・・ 」


いつもは保守的にしか物事を判断しない部長さんも、H 氏の言い分に納得せざるをえない様子でした。 H 氏の言うとおり、銀行業務は私が理解していればいいわけで、プロジェクト責任者として H 氏に求められている役割は、迅速なリソースの手当てなど、大所高所でのサポートであることは間違いありません。


へぇー、なかなかやるじゃん ! 私は少し嬉しくなっていました。こんな上司がいるなんて、うちの会社も捨てたもんじゃないな、と。そして、安易に転職しないでよかったな、と。

模倣犯登場 ?


それから数週間後、私は再びロンドンと NY を往復する日々に舞い戻りました。かれこれ 6 ヶ月ぐらい現地に滞在していたでしょうか。途中何度も、「えーーい ! やってられっか、こんな仕事。おりゃおりゃーー ! 」とブチ切れ、 H 氏から預ったコーポレートカードで豪遊したい衝動にかられたのですが、結局コーポレートカードには手を付けませんでした。そのカードを手にするたびに、「いいよ、お前の思い通りにやれよ。心配するなって、ちゃんとケツはふいてやるから ( = 失敗したときの責任はとってやるから ) ・・・ 」という H 氏の声が聞こえてくるようで、一種のお守り代わりになっていたような気がします。


その年の 9 月はじめ、私は長期出張を終え帰国しました。帰国して数日後、スタッフの評価会議が開かれました。評価会議というのは、スタッフのボーナスを決めるとともに、昇格も決定されます。例年、評価会議は深夜までもめるのですが、今年は特に時間がかかるだろうと言われていました。その理由は、どうも私にあったようなのです。


私が日本を離れている 6 ヶ月ほどの間に、実に 5 名ものマネージャーが、私のマネをして社長に直訴したそうです。「タカシのように昇格させないと、今すぐ会社を辞めるぞ ! 」と。 H 氏が懸念していた事態が、まさに起こったわけです。幸い、彼らの前年実績は私よりかなり低かったため、それを理由に昇格を突っぱねることはできたようです。が、かく言う私だって本来の基準には達していないわけで、そういう意味では私の昇格を明確に説明できる理由がなかったのは事実です。社長は彼らに対して、「次の評価会議で、シニアマネージャーへの昇進を積極的に検討する」ということで、何とか矛を収めさせていたようでした。


それにしても、何と姑息なヤツらなのでしょうか ? ま、確かに私も棚からボタ餅みたいな感じで昇格したしたのは事実ですが、それにしても最初に社長と直接交渉したことについては評価されてもいいように思います。私がうまくいったからって、オレも私もと言い出すのは虫が良すぎるような気がしませんかね。

お前、降格 !


評価会議はパートナーが主催します。 H 氏も評価委員の一人でした。そろそろ終電の時間という頃になっても、 H 氏は戻ってきません。会議はまだ続いているようです。


「ま、いいか。オレが残ってヤキモキしてても始まんないし。帰ろっと ・・・ 」


自宅近くの駅で降り、駐輪場で自転車のカギを開けようとしているまさにそのとき、私の携帯がけたたましく鳴りました。 H 氏からでした。


H 氏 「おぅっ、タカシか ? 」


私 「なんすか ? 」


H 氏 「お前、もう 1 年だけ、マネージャーやれ ! マネージャー D に降格 ! 」


私は瞬時に、 H 氏が何を言っているのかわかりました。 H 氏は自分の責任で私を降格させて、この一件の決着をつけさせようと思っているわけです。


私 「 ・・・ いいっすよ。でも、給料は下がりませんよね」


H 氏 「わかってるって ・・・ でも、他のヤツには給料も下がったって言っておけよ。じゃ、な ・・・ 」


私 「あ、あと名刺とか、 E メールアドレスとか、スタッフ名簿とか、そういうのキチンと修正してくださいね。いろいろと細かいことを突っ込むヤツがいるんですから ・・・ 」


H 氏 「名刺 ? んなもん、修正液で 「シニア」 の部分消せばいいじゃん。それがいやなら「マネージャー」 っていうシール買ってやるから、上から貼れば ? 」


私 「( 何言うとるんじゃ、このおっさん ・・・ )もう、いいっす。おやすみなさい ・・・ 」


H 氏ならではの「親心」だったのでしょう。私に対して、シニアマネージャーからマネージャーへ、という異例の「降格人事」が下されることになりました。で、その 1 年後、私は再度シニアマネージャーに昇格しました。今度は昇格基準を十分に満たしていたので、だれからも文句が出ない、正真正銘の「昇格」でした。


さて、私の真似をして社長に昇格を直訴した連中はどうなったでしょうか。実は、私がマネージャーに降格された会議で、彼ら全員のシニアマネージャー昇格が決まりました。実はこれも H 氏が仕組んだことだったのです。彼らは私がマネージャーに降格されたことを聞いて、どんな気持ちになったでしょうかね。で、その後 2 年かけて、私は順調にシニアマネージャー A から B へと昇格していきましたが、彼らはだれ一人として、シニアマネージャー A 以上にはなりませんでした。それどころか、 5 人のうち 3 人は、シニアマネージャーのプレッシャーに耐え切れず、退職していきました。


私は1年半ほどの間に、「マネージャー B  → シニアマネージャー B  → マネージャー D  → シニアマネージャー A 」という、まさにジェットコースター人事を経験しました。ま、これも外資系ならではと言えはそれまでなのですが、 1 つ言えることがあります。それは、実力がないままに上のランクに着いても、機能しないケースが多いということ。現状の身の丈にあったランクというのがあるわけで、それを着実にこなしていくことが、結局は一番の近道だってことです。


マネージャーへの降格 1 年後、晴れてシニアマネージャーになった日、 H 氏から真っ先にメールが届きました。


「昇格おめでとう!これからもよろしくな !  H より」

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この記事の筆者

奈良タカシ

1968年7月 奈良県生まれ。

大学卒業後、某大手銀行に入行したものの、「愛想が悪く、顔がこわい」という理由から、お客様と接する仕事に就かせてもらえず、銀行システム部門のエンジニアとして社会人生活スタート。その後、マーケット部門に異動。金利デリバティブのトレーダーとして、外資系銀行への出向も経験。銀行の海外撤退に伴い退職し、外資系コンサルティング会社に入社。10年前に同業のライバル企業に転職し、現在に至る ( 外資系2社目 )。肩書きは、パートナー(役員クラス)。 昨年、うつ病にて半年の休職に至るも、奇跡の復活を遂げる。

みなさん、こんにちは ! 奈良タカシです。あさ出版より『外資流 ! 「タカシの外資系物語」』という本が出版されています。
出版のお話をいただいた当初は、ダイジョブのコラムを編集して掲載すればいいんだろう ・・・ などと安易に考えていたのですが、編集のご担当がそりゃもう厳しい方でして、「半分以上は書き下ろしじゃ ! 」なんて条件が出されたものですから、ヒィヒィ泣きながら(T-T)執筆していました。
結果的には、半分が書き下ろし、すでにコラムとして発表している残りの分についても、発表後にいただいた意見や質問を踏まえ、大幅に加筆・修正しています。 ま、そんな苦労 ( ? ) の甲斐あって、外資系企業に対する自分の考え方を体系化できたと満足しています。

書店にてお手にとっていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。
奈良タカシ

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